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はてなブックマーク - やって出来ないことはない。7日で立ち上げた「復興食堂」~一般社団法人「おらが大槌夢広場」代表理事 阿部敬一さんに聞く~

一面の更地の中、突然現れる大きなテント。その周りを、黄色とオレンジをベースにしたのぼりがいくつもはためく。プレハブがテントの左右に2棟、キッチンカーも見える。
「いらっしゃいませ!」黒いロングエプロンをつけたスタッフの元気な声が響く。このテントは、2011年11月11日から営業を始めた「おらが大槌復興食堂」(岩手県上閉伊郡大槌町上町)だ。

「できない、じゃなくて、やる、なんですよ」と話すのは、同食堂を運営する、一般社団法人「おらが大槌夢広場」代表理事の阿部敬一さんだ。同法人は現在、理事22名、社員を14名雇用。その内7名は復興食堂スタッフ、ほかは営業・企画・広報などを担当している。
精悍に日に焼けた阿部さんは、震災前は実家の農業を手伝っていた。「本当は農業なんて大嫌いで、調理師として東京に出ていたのですが、そのおかげで逆に地元の食材の良さに気付いて、戻ってきました」と笑う。


震災直後阿部さんは、避難所となっていた岩手県立大槌高等学校で炊き出しをおこなった。1ヶ月半ほどが経ち、緊急フェーズを過ぎた頃に当番制に移行させ、阿部さんは炊き出しからまちづくりへと活動を移していった。


漁港も商店も家屋も、すべて流されてしまった大槌に、仕事・雇用を創出するため、阿部さんは、同法人の設立準備を進めた。そこで中心となったのは、「おらが大槌復興食堂」の立ち上げだった。商店がほぼ全壊した大槌町で、食べ物を調達するところは、コンビニエンスストア「ローソン」しかなく、大槌に支援に来ていたボランティアらは、そこで購入するしかなかった。


大槌に来てくれた人への恩返しがしたい、皆が集まれる「場」を作りたい、そしてそこを「復興のシンボル」としたい。そんな熱い思いを持った若者たちが阿部さんの元に集まり、文字通り何もない、更地の大槌に、同食堂を立ち上げた。すべてが手作りで、契約や資材の問題で、実際の立ち上げ期間はわずか1週間だった。
「何もかも流されて、こてんぱんにやられた自分たちでも、やるぞと決めたら出来た。生き残ったわれわれは、彼らの分も町を作っていかなくてはならないと思っています。」


最大80人が収容できる同食堂は、食事だけでなく、復興会議やコンサート会場にも使われている。また、人が集まる「場」が出来たことで、再会の場にもなり、前に進んでいこうという空気が生まれているという。


そんな場には人も集まる。ボランティア、地元の人、ミュージシャンから、役場職員、政治家まで。「今はこの大槌を、多くの人に見てもらうチャンスだと思っています。被災したこの状況は、今しかない。首都圏の会社の研修や、まちづくりの団体を積極的に受け入れています」と話す阿部さん。


今後は「復興ツーリズム」や地元の子どもたちに大槌の魅力を伝えるまちづくり事業も進めていくという阿部さん。その表情は、力強く、明るい。


「おらが大槌復興食堂」の営業時間は、午前11時~午後3時。午後5~9時は別メニューで居酒屋として営業している。毎週月曜定休。



2012年3月31日 山根麻衣子


関連リンク
おらが大槌夢広場 http://www.oraga-otsuchi.jp/index.html
おらが大槌復興食堂 http://oragaotsuchi.web.fc2.com/top.html

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